◆はじめに
新入生のみなさん、筑波大学合格おめでとうございます。
私は、筑波大学の近くで自立生活する、24時間介助が必要な障害者のひとりです。現在筑波大周辺で自立生活する障害者は数人います。
自立生活とは、地域で多くの人の介助を得ながら、それぞれの障害者が自分らしく生活することです。耳慣れない言葉かも知れませんが、いわゆる「自立」ということについてのことではなく、「一人暮らし」、「同居」、「同棲」といったような生活形態と同じように捉えていただけたらと思います。
つくば市で自立生活する障害者の介助は、市から派遣されるヘルパーが一日3時間で、それ以外の21時間は大学生・主婦によるいわゆる「ボランティア」によって行われています。ボランティアによる介助が主なため、介助は慢性的に不足し、障害者の生活は大変不安定であり、不安なものとなっています。常に介助者募集はかかせず、それに時間が捕られ、精神的にも肉体的にも大きな負担となっています。
これまで多くの障害者は、「施設」の中で、食事時間・排泄時間・起床就寝時間・入浴日・外出日など管理された生活か、「親元」での愛という名の下に正当化される保護された生活を余儀なくされてきました。その中で障害者は、どんな音楽を聴くか、どんな映画を観るか・どんな下着を付け、どんな洋服を身にまとうか・どんな人と友達になり、誰と恋人になるかといった自分らしさを形づくるもの、自分らしい生活を営むことが出来ませんでした。
また、「施設」入所に当たり献体提供を強制させられたり、親の「この子の将来のことを考えて」という愛情による障害者殺し/殺人など、到底人の扱いとは思えない扱いや事件に巻き込まれた生活を送っていました。
そのような危ない生活から逃れ、自分らしく生きるための試みが、一部の地域で決して多くない非障害者の支援者とともに、70年代から始まりました。しかし、生きるために多くの介助が必要な障害者が地域で生活することは、当事全く想定されておらず、自治体による「介護サービス制度」のようなものは皆無に等しく、障害者は常日頃街頭で介助者募集のビラをまき、毎日明日の介助を埋めるため数時間の電話掛けに追われていました。
障害者の自立生活への取り組みがはじまって30年が経つ現在、それでも決して多くない数ではあるが自立生活をする障害者は全国各地に存在し、それぞれの生活を営んでいます。自治体による「介護サービス制度」もその地域に生きる障害者のねばり強い交渉により制度が整備されてきています。
ここつくば市においても5年前より、自立生活障害者とその支援者により、公的な介助制度、つまりホームヘルプサービスの派遣時間数拡大を求めた市との交渉が行われています。その中で保健福祉部長による「(あなたたちは)勝手に地域で生活している」(これはほとんど差別発言)などと言われながらも、粘り強い交渉が今なお行われ、現在、月120時間(ちなみに一ヶ月は720時間)の公的に介助保障がなされている。
とりあえず、みなさんの周りで、このような生活をしている者も一緒に暮らしているということを知ってもらえたらと思います。そして、機会があったら介助やなんらかの形で出会えたらと思います。
◆ま〜がりんについて
ま〜がりんとは、25才、おとこ、脊髄性進行性筋萎縮症、牡牛座、O型の僕のことです。なぜ"ま〜がりん"か?そんな野暮なことは聞いてはいけません。脊髄性進行性筋萎縮症とはなに?それは聞いていただかないと取り合えずなにも話にならないので、簡単におはなしします。
脊髄性進行性筋萎縮症とは、脊髄の運動神経細胞の病変によって起こる進行性の疾患であり、人によって進行の度合いはさまざまである。僕の例でいえば、小学校までは自転車に乗れて、高校まで歩行していて、現在は電動車椅子に夜間人工呼吸器をつけるくらいの症状といったところである。進行性と聞くと、なんか悲惨・不幸と連想されてしないそうでとても恐ろしいのだが、悲惨・不幸はとりあえず僕以外の人に決められたくないというのはある。悲惨・不幸なことも普通にあって、嬉しい・幸せも普通にある。障害・難病を持っている人が四六時中悲惨・不幸だと思っているわけではないということは、あまり知られていないかも知れない。
僕は上の疾患により、ほとんど全ての行為について介助が必要である。一日24時間。残念ながら今のところ毎日24時間介助が埋まっているわけではないので、これを読んで興味がある人は介助に来てほしい。介助は、市から派遣されるホームヘルプ90h/月・ガイドヘルプ30h/月と生活保護の他人介護加算による120/月を使った有償介助(アルバイト?)といわゆるボランティアによって構成されている。なぜ、生活保護をとっているのかについては、ここで説明するには制約が多いので割愛させてもらいます。
介助自体には、特別な資格や技術は必要はありません。基本的に障害者が指示を出すのでその指示に従って行う。例えば、
障害者:お風呂の温度は42℃ね。
介助者:42℃すね。
障害者:野菜炒め、コショーふります。
介助者:どれくらいっすか?
障害者:三振りぐらい。
あと、本をめくったり、テレビをつけたり、トイレ介助、風呂介助、お茶入れたりなどをする。
と、ま〜がりんについて、障害というところから自己紹介させていただきましたが、他にもさまざまの僕というのがいるわけで、薬師丸ひろ子、田中麗奈に注目中で、立岩信也のファンで、トマトを使った料理が好きでと。しかし、障害というものが僕にはまぎれもなくあるのだけれど、それがどういう「もの」「こと」なのかはこれまでの社会の中で無視されてきたと思う。精々「かわいそう」「大変」くらいのものだと思う。みなさんからすれば、障害者が養護学校・施設に入れられていることで、障害がどういう「もの」「こと」なのか知る機会がなかったと言うことだと思う。そんな中なので、僕はまず自分の障害というところから述べたというか、そこからしか話せないという事なのです。
とりあえず、こんな奴もつくばに住んでいることを知っていただけたらと思います。
◆障害・障害者について
これまでみなさんは障害者について、何を教えられてきたのでしょうか?誰に教えられてきたのでしょうか?一障害者としてその辺のことについて感じることは、「手足が不自由で大変」「かわいそう」「親切にしてあげなきゃならない人」「無駄に税金喰う人」という風に教えられてきたのではないかと思っていて、それを教えたのは障害者ではない人ではないかと思っている。
「手足が不自由で大変」「かわいそう」「親切にしてあげなきゃならない人」というのはひとまずその通りだとして、でも何が大変で、どういう風にかわいそうで、何が親切になるのかは障害者ではないその人は教えてくれなかっかのではないだろうか。
よく聞かれたり、耳にすることで、「街で困っている障害者がいたときに声をかけた方がいいのかどうか」ということである。僕の応えは「頼まれていないんだったらいいんじゃない」である。自立生活障害者の中には介助者との間に、障害者が頼んでいないことはしないというひとつのルールがある。あくまでも原則ではあるが、それはこれまで障害者の意に反して家族・ヘルパー・ボランティア・介護者が、障害者本人のことを勝手にやって、勝手に決めてしまっていたことに対するアンチテーゼとしてある。このことは逆にいうと、障害者もやって欲しいことがあるときは、頼むことをしなければ、周りは動かないということでもあり、厳しいときもある。そういうところから上の僕の応えが出てくる。ただ、このルールが通用するのはあくまでも自立生活障害者だけであり、「施設」「親元」で暮らす障害者には通用せず、その見分けが出来ないというところでやっかいさがある。
しかし、やっかいさはそこから来るのではない。「街で困っている障害者」がいたとき、何に困っているのかが分からなず、それが自分が手伝えることなのかも分からないので声をかけることを躊躇してしまうのではないだろうか。そして実は本当に困っているのかさえも分からないのではないだろうか。この前、友人がトイレに行っている間、外で車椅子に乗って待っていたら、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた人がいた。全然大丈夫だったので「あ、大丈夫です」と応えた。この社会には「障害者=困っている人」という図式が確立されているのかと感じた。全く迷惑なはなしではないとは言えないが、その人や個人をとやかくいってもという気がする。だってそういう風にしろと言われてきたわけであるし、「障害者=困っている人」なわけでもあるし。
なぜこのような障害者と健常者の行き違いが起こってしまったのだろうか。ひとつには、やはり障害者と健常者が分けられて生活させられているからではないか。教育の中で養護学校という形で分けられ、その後は施設という形で隔離されてしまう。
このような状況の中で、障害者と健常者が出会える方法のひとつとして介助があのと思っている。その中ではじめてお互いが、障害とは何か、何が困っているのか、何をして欲しいのか、どのようにお互いが楽しめるのかが分かっていくことが出来る。そうなると、「街で困っている障害者」に会っても、何に困っているのかの見当がつき、声をかけることに躊躇はしないのではないだろうか。
補足になるが、私たち障害者は手足が不自由で困るというよりは、手足が不自由で出来ないことを代わりにやってくれる介助者がいないがまず先に大変に思っている。
◆試みの中のひとつとして
今、障害者の自立生活運動の中で注目されているもののひとつに「自立生活センター」があります。自立生活センターは、障害者のことは障害者がもっともよく知っているという考えに立ち、障害者による障害者のためのサービス提供を行う組織です。現在、日本全国に約90団体あり、茨城県には水戸に1団体存在します。昨年より、ここつくば市においても自立生活センター設立のため、つくば市周辺の障害者と市民による設立準備会が開催され、今年中に正式に発足する予定となっています。(Homepage班より;2001年5月に発足しました→つくば自立生活センター「ほにゃら」) ここで準備会呼びかけのビラから抜粋して紹介します。
"一歩ふみだせば、次もふみだせるのさぁ。"
この場をおかりして自立生活センター設立を皆様に呼びかけさせていただきたいと思います。私たちはここつくばやその周辺で、多くの人の介助をえながら、自分の住みたいところ、家族や仲間のいるところで生活を営む障害者とその支援者です。皆様もご存じのとおり、障害者が地域生活をすることは決して簡単なことではありません。介助のこと、教育のこと、仕事のこと、交通のこと、性のこと、住宅のこと、全てが重大な問題です。しかし、さまざまな問題が山のようにある地域の中ででも家族や仲間、愛しい人と一緒にいること、ときに大わらいし、ときに大げんかし、かなしみ、大さわぎをし、大めいわくをかけながら生活することを、喜びとし、幸せとし、このいとなみをやめるわけにはいきません。そして、誰にもこの営みを阻むこと、禁止することはできません。
これまで私たち障害者のことは、いわゆる専門家と呼ばれる人々によって決められてきました。その中には、決して私たちが望んでいない「施設生活」など多くのことがありました。このような状況に「NO」「いやだ」という障害者のこころみが始まり、「自分たちのことは自分たちできめる。自分たちのことは自分たちが一番よく知っている」を合い言葉に各地に障害者による障害者のための支援組織ができあがってきました。自立生活センターもそのような考えの上にたっています。私たちはここつくばにも自立生活センターをつくり、障害者が普通に家族や仲間とくらせる、誰もが安心してくらせる街作りのため活動したいと考えています。
そしてその完了形は、街のあちこちで車椅子・乳母車・自転車・下駄・盲導犬、さまざまな足音が混じり合う、さまざまな人々が行き交う、「まだ誰にも想像つかない普通の風景」です。この思いに賛同される、同じことを考えている障害者・非障害者の皆さん、是非準備会に参加して下さい。お待ちしています。
自立生活センターの具体的な活動は、ピア・カウンセリング、自立生活プログラム、権利擁護、情報提供、介助派遣です。ピア・カウンセリング、自立生活プログラムでは、自分の障害を肯定する・否定しないということが目的とされます。障害者を取り巻く日常の中では、障害は四六時中、あってはならないものとされ、ないにこしたことはないものとされ、克服するものとされています。そのような中に自身も取り込まれ、自身を見失い否定してしまうことから、本来の自分を取り戻すことが行われます。そして、権利擁護、情報提供、介助派遣は直接日常生活の支援です。信じられないかも知れませんが、当然使えることになっているサービスが行政窓口では使えない、担当者が知らないということが結構あります。その様なときに、行政窓口に自立生活センターが行政窓口に問い合わせをしたりする必要がでてきます。また、行政の情報提供が十分に伝わらなかったりするときもあり、その時には、自立生活センターが詳しく情報を提供したり、行政が伝えられない情報を収集し提供したりします。これらのことを通して障害者が障害に関わりなく、自分らしく生活できるように支援しています。
このような活動を通して、誰もが安心して生活できるつくば市になればと考えています。興味関心がある方は下記まで連絡下さい。(Homepage班より;メール取り次ぎます。こちらまで→jitsugen@mac.com)
2001/5