活動状況の報告


2001/10/27全体ミーティング

文責:浅野郁子

学習会:「介助者とは?」レジュメ



□はじめに

 わたし自身の約3年の介助者としての体験をもとに、介助者とはどのような存在なのかを自分に問いかけてみました。共感できるところとできないところがあると思うので、みんなの意見を聞きたいと思っています。




「誰のために介助をしているのだろう?」

 私が大学1年生の時、ちょうど介助に慣れてきたころ、「どうして介助に入っているんだろう」と意識しはじめ、「どうしてわたしが介助に入らないといけないのか」と思い悩むようになり、介助に入ることがつらくなっていました。思い悩みはじめたときの感情を列挙すると、「つらい・重たい・先行きの不安・不当感・理不尽さ」という言葉で表せます。この漠然とした思いに対し、当時追及されていたら次のように答えていたと思います。

 『どうして、いつでもスケジュールが空いてるときは介助に入らないといけないような圧迫感とか半強制的な空気で介助依頼されるの?介助は「入りたいとき」にとか「やれるときだけ」とか誰でも気楽に介助ができるみたいに言って誘ったくせに。ボランティアって自主的、自発的にしたい人がしたいときにやるもんじゃない?現状を知っていたら、入らなかった。どうして関わってしまった自分だけがこんなつらい思いをしなきゃいけないの。』

 これは裏返せば、介助にあまり入りたくないときでも、手帳のスケジュールが空いているときには介助依頼を断ることができない自分に対して不満を抱いていた現実があったということです。その当時、わたしは介助を引き受けることができないという正当な理由がない限り、介助依頼を断ることはとても難しいことのように感じていました。断るくらいなら、少し無理しても引き受けたほうが気が楽だと自分に言い聞かせるようにしてがんばっていました。しかしその小さな無理は次第に大きな負担となってわたしの上にのしかかってきました。すし屋のバイトを介助を断るための「正当な理由」に仕立て上げることで、逃げ道をつくりました。ついにローテーションでの介助依頼を断るようになりました。



「いっそのこと、ASKや実現する会をやめてしまいたい。」

 しかし意外なことに、介助に入らないでいる間も、ローテーションの電話がかかってくるたび、後ろめたいような、ひどく嫌な感情が自分の中で渦巻いているのを感じずにはいられませんでした。
なぜか介助を断り続けている間も、わたしにとっての「つらい状況」はほとんど変わらなかったのです。

この「つらい状況」から抜け出すためには、「介助者」から完全に足を洗う方法、つまり脱会しかないことに気づきました。



「"やめたい"と"やめられない"のはざまで」

 しかし思いと裏腹に、介助者を完全にやめる(=会員をやめる)と選択することはできなかった。というよりむしろ、はじめから、その選択はあきらめていたと言ったほうが的確だと思います。私は、後ろめたい気持ちで介助を断りつづけながらも、その場所に居続けるしかないような気がしていました。

 何で? 当時その理由を求められても、たぶん答えることができなかったと思う。自分でも分からなかった。単なるとらえどころのない無力感と鉛をのみこんだような重量感でしかなかった。そう、今思えばどうして言葉がそこにはなかったのかと思う。同じように介助をしている友達(同じ学校でクラスメイト)にさえ、介助に対しての自分の気持ちを口に出したことはなかった。むしろ、なるべくつらさをひた隠しにして、あいまいさを装うことで、話題に出ることを避けようとしてたように思う。


"やめたい"と"やめられない"のはざまで、わたしは一人だった。



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このページは2001年10月31日に初めて公開しました。