2001年度学習係:「障害者の自立生活を実現する会」地図づくりプロジェクト 

『障害者の自立生活を実現する会』の歴史

第1章『障害者の自立生活を実現する会』の発足に至る経緯 

■長岡さんと「支える会」 

長岡さんという筋ジストロフィーの男性(1969年生まれ)がいました。彼は、かつては家族による介助のもとで生活していたのですが、成長していくにつれて家族による介助がむずかしくなってきました。やむをえず、施設での生活をするようになった長岡さんですが、月日を重ねるうちいくつかの出会いがあり、施設から出て生活する自分と同じ境遇の人たちがいることを知ることになります。彼は、生活の大部分を他人に管理される施設での生活には我慢ができず、自立して一人暮らしをしたいと考えるようになります。長岡さんは自分も施設から出たいと思うようになり、親のつてで、筑波大学のボランティアサークル「たいようの会」のメンバーの一部に協力を求めました。

 1988年ごろから、そのサークルの学生との交流がはじまりました。そこで、のちに協力者となる人達と出会うことになりました。彼はさまざまな人に相談し、彼の希望に共鳴したボランティアサークルの学生が彼の計画に協力することになったのです。まずは、正月休みに実家に来てもらう介助者を自分で探すことからはじめ、そして実際に学生の部屋を使って自立生活を体験したりもしました。

 そして「長岡君の自立生活を支える会」を設立し、広く介助者を求めていきました。

■自立生活へのハードル

 このころ、長岡さんのご両親は彼の一人暮らしには反対でした。そして、支援者の学生の間には「親の許可が無いと協力できない」とか「もしものことがあったらどう責任をとるのか」といった考え方が根強くありました。そのため、長岡さんへの支援活動は、集まって相談するにはするが「ひたすら長岡からの自発的な行動を待つ」という受け身の姿勢でしか取り組めないでいました。そこでの支援者の「長岡自身の問題」「長岡が自分の責任で主導していく」という論理は「本人の意思を尊重する」という意味ではありました。しかしそれは、支援者側の「自分たちの責任が問われるようなことをできるだけ避けたい」という恐れの裏返しでもあったのです。

 人命が関わるので慎重にならざるを得ないのは当然でもあります。しかし「介助を集めて・・・」「生活に必要なお金を集めて・・・」といったノウハウに通じていない長岡さんに、そういった情報を積極的に提供せず、うまくいく方法を彼自身が発見するまで行動しないという姿勢では、本当に彼の意思を尊重するということを真剣に検討しているとは言えませんでした。(本人がやり方を発見できなければあることがらを実現することができないとしたら、能力の低い人は生きていくことさえできなくなってしまいます。)

 そして自立への行動はしばらく停滞することとなったのです。

■新たな展開へ

 そういった考え方をあらため、活発に動いていくように支援側が変化したことによって、運動が新しい展開を迎えることになりました。当時、活動の中心にいたある支援者は「自立への行動が停滞していたのは、長岡さんの気持ちが弱かったからではない、問題は支援側の態度にあった。これはとても重要なことだし、実現する会の考え方にも反映して欲しい。」と語っています。

 それからは、仲間と様々な議論をしながら、介助者を募集するビラまき、長岡さんに一時的に介助者のアパートに来てもらっての複数の介助者の交代制による全介助の練習、アパート探し、利用できる制度の調査など、自立生活に向けた準備を進めていきました。そして、行政の非協力的態度やご両親との対立などの困難な条件をのりこえ、1992年初頭ごろには「実際にすむ場所をどこにしようか、4月頃にしようか」といった具体的な話になってきました。

■自立生活の実現

 そんなころ、長岡さんは「もって、あと2年」と医者に言われました。彼は「とにかく施設を出なきゃだめだ」と決断し、迷いが無いことを周りに知らしめ、支援者側も彼の意思を尊重する行動をとる決断をしたのです。

 1992年4月、長岡さんが23歳のとき、支援者の一人、小磯博司さん(1)との同居という形でアパートでの自立生活が実現するに至りました。介助者は筑波大生をはじめとして100名近く集まりました。長岡さんはアルバイトで彫刻のモデルをするなど、待望の自立生活を謳歌し始めたのです。

 ところが、長岡さんはアパート暮らしをはじめてから1カ月足らずで肺炎で入院、2日後には亡くなってしまったのです。でも彼を通じて仲間になった介助グループは残されました。(2)

■「支える会」から「実現する会」へ

 長岡さんは生前「障害者と健常者の共存を目指す活動をがしたい」という願いをもっていて、自分の生活が軌道にのったら、自立を目指す 他の障害者の援助をやってゆきたいと介助者に話していました。また、彼の介助グループのメンバーの中にも、彼のそういった計画を積極的に支持する人がいました。そして1992年11月の総会で、小磯さんを中心としたそのメンバーの人達が、長岡さんの遺志を継ぐかたちで、「障害者の自立生活を実現する会」を発足するに至りました。(3)


[参考・引用文書]

(1)長岡さんの自立生活を実現するまでの過程をもっと詳しく知りたいときは
  
[小磯博司さんのホームページ:http://plaza26.mbn.or.jp/~mogura/index.htm]

(2)長岡さんが亡くなる前後の経緯をもっと詳しく知りたいときは
  [1997年1月発行「七色の風」第10号:広報係(永田毅さん)の文章]

(3)新入生歓迎パンフレット:「はじめまして、障害者の自立生活を実現する会です」




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このページは2001年3月5日に初めて公開しました。