2002年1月12日学習会レジュメ 文責:上渕 翔

障害と心
〜障害者の恋愛を通して〜

1、介助者、被介助者の意識のズレ

<事例.1>

 …一人の障害者男性が、女性ボランティアにお風呂に入れてもらっていた。
「お風呂だけは男性ボランティアにしなさい」
と注意すると、
「そんなの勝手ではないか、女性ボランティアのほうが丁寧に洗ってくれて気持ちがいいんだ。俺はマスターベーションさえ出来ないのだから、その楽しみだけは奪わないでくれ」
といわれ、私は返す言葉がなかった。女性ボランティアの中には看護婦さんになったつもりで、
「かわいそうな障害者。してあげるのが当たり前でしょ」
という女性もいた。
「それならば四十台の健康な男性をあなたはお風呂に入れられる?」
と聞いたとき、その人は
「一人で洗えるでしょ?ちがうの?」
「私の言いたいことは、あなたがケアしている男性を男としてみているかどうか、ということなの。障害があるからといって子供ではないんだよ」
と論議は続いた。そして彼女は好きな人が出来たとき、男性の入浴介助をやめた。
(小山内 美智子著『車椅子で夜明けのコーヒー』より引用)

→介助者:
・障害者を男としてみていない
・障害者を“守る対象≒対等な大人でないもの”としてとらえている 
→障害者:
・ 性欲を満たすことが難しい状況を補うために、女性ボランティアを利用している
・ ケアは女がするものといった意識

2、障害者カップル当事者同士の意識のズレ、彼らを取り巻く周囲との意識のズレ 

<事例.2>

“障害者の妻って何だろう〜尽くすだけではない自分はどこ〜

 光成沢美(みつなりさわみ)さん(32)と福島智(ふくしまさとし)さん(39)は8年前、たった3回のデートで結婚を決めた。
 智さんは、子供の頃に失明、失聴した「盲ろう」の重複障害者だ。光と音のない世界で生きている。言葉は発せられるが、外界の情報は通訳介助者が手を重ね、指で点字を打ってもらうことで得る。沢美さんが手話通訳を学んでいた学校に、智さんが講師としてきたのが出会いだった。
 智さんは沢美さんのことを「日に干した毛布のように安心できる人」と思った。沢美さんは「彼は私の羅針盤だ」と考えた。
 沢美さんの両親は反対した。「沢美が苦労を抱え込むんじゃないか」。智さんは母親に「介助や通訳をお願いしたくて結婚するんじゃない。2人がしたいからするんだ」と言い切った。
 智さんには学生時代から支援団体が出来、必要なとき、通訳を派遣してくれていた。智さんは全国盲ろう者協会の理事として奔走、96年には東京都による通訳介助者への助成も始まった。だから沢美さんは結婚前から勤めていた東京都聴覚障害者連盟の職員を続けることが出来た。
 96年12月、智さんは障害児教育の研究者として金沢大学助教授に採用された。だが、金沢には指点字が出来る人がいない。沢美さんが仕事をやめ、専属の通訳者を務めることになった。
 通勤の介助、講義の通訳。24時間つきっきりの生活をはじめてみて、沢美さんは周囲が「家族が介助するのは当然」とみているのに気づいた。ショックだった。
 「福島さんはいい奥さんを持って幸せ」といわれた。取材を受けると、必ず「障害者の夫に尽くす妻」として紹介された。公費負担による通訳者制度を作るよう大学に働きかけたが、事務局は「前例がない」と渋い顔をした。「妻」に払うことは考えつかないものだ。沢美さんは透明人間になった気がした。
 通訳介助は厳しい仕事だ。肉体的にも精神的にも限界だった。
 大学に出来た指点字サークルから通訳者が育ち、大学側が「特例」として週55時間分の通訳料を払うようになったのは、やっと99年からだ。
 翌年、時間が出来た沢美さんは英語の専門学校に入学した。「障害者の妻以外の自分」を見つけようとしたのだ。学校通いは楽しかった。
 ところが昨年春、智さんが今度は東大先端科学技術研究センターの教壇に立つことになった。沢美さんはまたもや学校を辞めて、ついて行かざるを得なかった。
 引越しが近づいたある日、沢美さんは智さんに向かって爆発してしまった。「私はね仕方なく東京について行くんだからね!」
智さんは猛反発した。
「じゃあ毎日君にありがとうと言って生きなきゃならないのか?障害者ってそんな存在なのか?」
その晩は遅くまで言い争いが続いた。
 2人が東京に戻って9ヶ月が過ぎた。
 紆余曲折の末、東大は週80時間の通訳料を出すことになった。フルタイムなど計5人が人材派遣会社に登録し、派遣される。沢美さんも週8時間を引き受けた。
 沢美さんはなぜ智さんをパートナーに選んだのか。そう問われても「智さんだったから」としか答えようがない。ところが世間は沢美さんを「障害者の妻」とみた。私って一体何なのか。
 一方の智さん。「障害者は同情や親切心で介助されることは好まない。障害にかかわらず、人は生きる価値があり、そのためのサポートは当然受けられるべきなんだ」という。でも一方で、社会がいくら介助や介護の制度を整えても満たされぬ思いがある。「金銭や利害は関係なく、厳しい条件の人生を自分と一緒に楽しんで生きてくれる。そんな存在を求めているんです」
 人と人とが支えあって生きていくとは、どういうことなのか。2人の答えが見つかるまで、もう少し時間がかかりそうだ。
(2002年1月9日朝日新聞朝刊より引用)

<事例.3>

…障害をもった私が、息子が「障害を持った女性と結婚をする」と言う場面になったとき、どう思うだろうか。
たてまえでは「賛成だよ」というだろうが、深く考えたとき、やはり健康な女性を選んでほしいと思うかもしれない。
なぜなら、障害者は夫婦げんかをしたときに、意地をはっていたくても、トイレに行きたくなればトイレ介助をしてもらわなければならない。障害を持った側が、「さっきはごめんなさい」と先に謝らざるを得ない辛さを、私が一番よく知っているからである。だから、まだ答えは出ない。
(小山内 美智子著『車椅子で夜明けのコーヒー』より引用)

夫婦間の意識のズレ
障害をもつ配偶者→

障害をもたない配偶者→


夫婦と社会との間の意識のズレ
夫婦→

周囲、社会→

3、私見

 以上の3つの事例を見て気づいたのは、“障害者は、健常者や社会が助けてあげるものだ”という意識だ。
この意識は介助者の中にも、被介助者の中にもある。
事例.3の、介助をする夫に、障害をもつ妻が、思わず「悪いな」と思ってしまうのは、「助けてもらっている」という意識があるからだろう。
もちろん、この意識は私の中にもある。次のエピソードがそのことをよく物語っている。
介助を始めたばかりの頃だ。介助をやっているという事を、人に言うことに気が引けた。「いい人」と思われるのが嫌だったからだ。
今思えば、その頃の私は、他人に「いい人」と思われる以前に、自分自身が一番、介助・人助けをしている自分を「いい人」だと思っていた。
今はこう考える。“出来ないことを手伝うのは、取り立てて言うほどすごいことだろうか?背の低い人が届かない所のものを、背の高い人が取ってやることは、日常的にあるなんでもないことではないか?”
「障害者」だから介助をするのではなく、彼らの出来ないところを、出来る私がする。もちろん私に出来なくて、彼らに出来ることはしてもらう。私がやっているのは、その程度のことなのだ。「いいことをしている」なんて思うのは、一方的に障害者に介助を与えていると思っている介助者の奢りだ。
本当は『障害と心〜障害者の恋愛を通して〜』などと題打って、取り上げることもない。障害者の恋愛など、当たり前に出来るべきなのだ。
何が、障害者の恋愛を特別なものとし、障害者の一人暮らしを特別なものとするのか。障害者と背が低い人とでは何が違うか。
言うまでもなく、最も異なるのは、手助けをする人の絶対数だ。
手助けする人の数が不足することで、事例.2の沢美さんのように、一人の負担が重くなり、介助が「我慢してやること」になる。
特定の「我慢する人」が介助を背負い込み、彼らは周囲に「いい人」と評価される。
 「いい人」と言って他人事で終わらせるのではなく、ちょっと手助けしてほしい。
 しかし「ちょっと手助け」というには、現状はまだ厳しい。いかにして介助者一人の負担を減らすか。行政による保障、既存の介助者による対外活動が課題になってくるだろう。




ホーム活動状況:2002年度 > 2002年1月学習会「障害と心」レジュメ

このページは2002年3月5日に作成しました。