2002年3月9日 学習会報告 文責:OW(ここでは私は、「わかる人にはわかる表現」を選択します

「優生思想を考える」学習会の報告

3月に優生思想を考える学習会を行いました。その報告をします。実際に使ったレジュメは口頭で説明することを前提に書いたので、そのままここに掲載することができません。しゃべったことを全部文章にしようと思ったのですが、ここに貼るにはちょっと長いので、雑なのを承知で短くまとめます。すみません。質問や意見があれば掲示板か何かにお願いします。

■学習会の内容

0)学習会の目的

 これまでも優生思想についての学習会は行われてきた。そこでも言われていた「新しい優生思想」が、これまでの一般的な優生思想のイメージとどう違うのか。(これまでの優生思想についての一般的なイメージを「旧来の優生思想のイメージ」と呼ぶことにして)「旧来の優生思想のイメージ」だけでは今日の優生思想を見逃してしまうのではないか、という問題意識を整理することが今回の学習会の目的。

1)ナチスの障害者抹殺政策などによって形成されてきた「旧来の優生思想のイメージ」

「旧来の優生思想のイメージ」は、実のところナチスの優生政策と結びついた国家主義や人種主義、戦争、非科学性や暴力的性格などへのイメージであって、必ずしも「優生思想の本体」へのイメージではなかった。つまり優生思想の定義があいまいなまま、ナチスの政策全体をなんとなく優生思想としてイメージしてきた。
 しかしそのことがナチス以前にも以後にも連なる、そして現代にもある優生思想を見えにくくさせているのではないか。

2)「優生思想の本体」をとらえる定義

「優生思想の本体」をとらえる定義は、これまでの優生思想へのイメージから「余計なもの」「周辺」を取り除いたものとなる。したがって「生まれてきて欲しい人間の生命と、そうでないものを区別し、生まれてきて欲しくない人間の生命は人工的に生まれないようにしてもかまわないとする考え方」というようなものになる。

 このように改めて優生思想を定義すること、つまり「優生思想の本体」をとらえることは、国家に強制されるわけでもなく、あやしげな遺伝学によるのではない、つまり個人が自発的に行う医学的には「正しい」優生操作を考える際に、非常に重要。

3)「優生思想の本体」をとらえたところから見渡した現在

 出生前診断(障害児の中絶)、生殖医療、優生保護法(95年改定)、尊厳死や脳死問題など、優生思想に基づくと思われるものや、それと強く関連すると思われるものがたくさんある。

 また、現在の社会は「優生思想の本体」と意識的に対峙し、何らかの判断を下したとは言い難い状況である。
 つまり、優生思想について何らかの判断を社会的に下しているということではなく、優生思想はナチスのものとして現代とは切断してしまい、実際には優生思想と強く関連すると思われる生命に対する操作が、技術が先行する形で行われているようにみえる。

4)「優生思想→悪い思想」という図式は簡単に前提にできない

 ナチスの時のように国家によって強制されるわけでもなく、間違った遺伝学の知識によるのでもない優生操作、つまり個人が自発的に行う医学的には正しい優生操作は、なぜ問題なのか。どこに問題を見出しているのか。これらを改めて問う必要がある。

5)優生思想に反対する根拠

 これについては、みんなの意見を聞くというかたちをとった。考える材料として知的障害者からの子宮摘出に関する新聞報道や、「青い芝の会」が優生思想について書いたものをみた。

■出された質問や意見(紙数の関係で勝手に要約しました)

▽出生前診断について

▽ 子宮摘出について

▽ 学習会全体について

▽ 学習会の後に聞いた意見



*学習会の内容は、基本的には小俣和一郎、米本昌平、市野川容孝、立岩真也、森岡正博らの本に書いてあることです。それと違っている場合は私の読み間違いです。正確なことを知りたい人は直接上記の人たちの本にあたって下さい。検索すればすぐ見つかります。書店で手に入る本がたくさん出版されています。



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このページは2002年7月31日に作成しました。