2003年6月14日 講演会報告

講演会「共に生きる社会を目指して」報告

文責:上渕翔

 2003年6月14日、講師に飯塚拓也さん(龍ヶ崎幼稚園園長、龍ヶ崎教会牧師)と、奥山栄子さん(茨城「障害児」の高校進学を実現させる会事務局)を迎え、実現する会主催の講演会を行いました。はじめに飯塚さん、奥山さんより、分かりやすく、しかし心にぐっとくるお話をいただき、続いてフリートーキングの時間を設けました。講演会場には70名ほどの方々が来てくださり、好評を得ることができました。

飯塚拓也さんのお話

(飯塚さんのレジュメに沿って報告します。レジュメは別紙)

○ 龍ヶ崎幼稚園の歩み

 しょうがい児が増えていくにつれ、当初の園の設備では対応できなくなり、幼稚園の移転を行われます。移転後の幼稚園には、スロープ等のしょうがい者対応設備が多く施されました。

 1985年学校法人化。法人をとった理由の一つには、補助金が得られることが挙げられます。資金がないと、良い教育ができないのです。他の多くの幼稚園がしょうがい児を受け入れないのは、資金不足という問題があるからでもあるそうです。

○ 教育理念に沿った園舎とは

○ 共に生きる保育への経過

「1993年に一人のしょうがい児を受け入れたところから全てが始まった」と、飯塚さんは言われます。園舎の移転を行った1996年には100の大台に乗るまでに園児の数は増えます。年々増えるしょうがい児の入園に、不満を持つ健常者の親御さんもいらっしゃったそうです。しょうがい児を持つ親御さんも交えた席で、「しょうがいを持つ子にばかり手をかけて、うちの子の世話は手薄になるのではないか」と言われた健常者の親御さんに対して、飯塚さんは「しょうがい児の親はいくつもの幼稚園をたらいまわしにされて、龍ヶ崎幼稚園にくるのだ。龍ヶ崎幼稚園のやり方が気にいらないならば、他に移ってくれ。健常の子を受け入れてくれる幼稚園ならいくらでもある。」と憤慨されたこともあったそうです。
他の幼稚園がしょうがい児の入園を拒むのには、「しょうがい児の入園のために、他の健常の子の入園数が減るのではないか」という懸念もある、と言います。しかし龍ヶ崎幼稚園においてはしょうがい児が入園しているからといって園児が減ることはありません。懸念が懸念に終わることを龍ヶ崎幼稚園は実証していると言えるでしょう。

○ なぜ、「共に生きる保育」なのか

飯塚さんは「しょうがいを持つ子も健常の子も同じ人間である。子どもはみんな手がかかる。しょうがいを持つ子だけが手がかかるのではない」と言われました。現場で子どもと関わっているからこそ言える言葉です。

○ おおかみの論理・スパルタ社会の結末

弱者を犠牲にして生きても、いずれは己が滅びてしまう。競争社会ではうまくいかないということです。

龍ヶ崎幼稚園では、運動会の内容も競争ではなく、みんなで楽しめるものに見直されました。しょうがいの有無に拘わらず、みんなが喜んでくれたそうです。しょうがい児の入園で、すべての行事を見直す機会を得ることができた、と飯塚さんは言われます。

そして最後に、「しょうがいを持つ人たちのため”ではない。自分を含めた、社会のすべての人のためにやっているのだ」と締めくくられました。

奥山栄子さんのお話

現在、中学三年生の知的障害を持つ息子さんを持ち、茨城「障害児」の高校進学を実現させる会として活動していらっしゃいます。

息子さんが生まれてくる時には「五体満足で生まれてきてくれさえすればいい」と思われていたそうです。

しかし、息子さんが成長するにつれ、知的障害であることが分かってきます。

息子さんの小学校進学を前にして、やはり当初は、奥山さんも養護学校に通わせることを考えられました。

奥山さんのご姉妹にも障害を持った方がおられ、養護学校の義務化により、普通学校から養護学校へ転入していらっしゃるそうです。今までは自分と同じように幼少期を過ごしてきたご姉妹が、突然“特別”な存在にされてしまったという腑に落ちない思いを抱きながらも、障害者は養護学校から施設という道を歩むしかないのだと思うようになったのだ、と言われます。

しかし、奥山さんの考えとは裏腹に、息子さんから出た言葉は「普通学校に行きたい」。奥山さんは、“仲の良かった友達が普通学校に行くのだから、息子が自分も行きたいと思うのは当然だろう”と思い、息子さんのやりたいようにやらせることにしたそうです。

そして、息子さんは普通小学校へ入学。同じように普通中学校にも進学されました。

小中学校では仲の良い友達が、息子さんのできないところ、不得意なところはうまくフォローしてくれ、難なく過ごすことができていたようです。息子さんは、中学では空手道部に入部。顧問の先生が理解のある方で、毎日楽しそうに部活動をなさっていたそうです。

義務教育も終わり、周囲が高校進学の準備をし始める頃、当然のように息子さんは高校進学を希望されました。今回も奥山さんは、息子が望むのならと、その思いを受け止められました。

しかし高校側は「試験で一定ライン以上の得点を取ってもらえれば入学を許可する」といい、知的障害を持つ人への対応をしようとはしませんでした。「高校は『学習の場』であるだけでなく、いろんな人と共に時間を過ご『生活の場』。障害を持っているというだけで、息子から『生活の場』を奪ってほしくない」。そう、奥山さんは語気を強めて話されました。

奥山さんは高校や自治体などと何度も交渉し、息子の高校入学が実現するよう活動していらっしゃいますが、そこへ行くまでに立ちはだかる壁は分厚いと感じることもあるそうです。

フリートーキング

(会場の参加者の方々に意見・質問を挙げていただきました)

Sさん:(飯塚さんに対して)障害者と健常者は違う。それを一般社会に認めさせるのが僕らの運動だ。

→飯塚:言い方の違いではないでしょうか。異なる点があっても同じ存在として一緒にいれるような社会を作りたいと思います

Hさん:以前、教師をしていたのだが、こどもを保育園に入園させる時、幼稚園の方から保育園は貧乏人が来るところだから、金があるのなら幼稚園に移れ」というようなことを言われた。保育園は厚生労働省の管轄であるのに対して、幼稚園は文部科学省の管轄。保育園は福祉施設だが、幼稚園のほうは教育機関として認められているということだ。そういった格の違いを意識するような思想(飯塚さんの言葉で言えば「おおかみの思想」)が、社会にははびこっている。




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このページは2003年9月20日に作成しました。