2004年2月14日 学習会レジュメ
文責 里内
自立生活運動の背景
1.1970年代、障害者運動の始まり
CIL運動は、1970年代、アメリカ西海岸のバークレーという町の大学か、大学に入学した障害者の設備要求運動をきっかけに始まった。そしてそれは、黒人の公民権運動と共に運動していった。その公民権運動は、当然に就労運動の側面も強い。加えて、ベトナム戦争の傷痍軍人の運動とも相まっていった。アメリカの社会は、生きてる人間を指数で表す合理的社会である。だから、アメリカの障
害者運動は、CILにみられる生活権獲得運動が主流になっている。
そのころのアメリカのCIL運動の一つの要求として、障害者差別禁止法(ADA法)
があった。これは、就労の面での障害者に対する差別を扱っている部分が多い。
そのころ日本では、青い芝の会など、社会かか見捨てられいた脳性麻痺者によ
る告発運動が起こっていた。例えば、車の免許を取らせないので、無免許で捕まって、そのことを焦点とした裁判闘争があったり、青い芝の会が、子殺し、優生保護を問題提起したりしていた。
日本における障害者の生活要求は全障研という組織がやっていた。当時の革新自治体に乗ってある程度の成果は上げた。しかし、その運動は、ある政党が主導
権を握って、障害者の親、教育労働者、施設労働者、福祉専攻の専門家が主体であって、教育や生活の権利を獲得するという養護学校や施設の要求を含んでおり、当事者の声が反映されないものであった。全障研の論理は、障害者にも発達する権利があるとし、発達ができるまで、特殊な教育や訓練が必要というもので、自立生活は後回しにされるという論理である。だから青い芝など、障害者解放運動と相容れず敵対していた。
2.アメリカの運動と日本の運動はどこが違うか
アメリカの運動は、エリートの大学生や傷痍軍人が中心の生活保障の要求運動である。 対して日本の運動は、免許を取らせないとか、子殺しとか、生活権を扱った運動ではなく、社会への告発という意味合いが強く思想や価値観の変革運
動たった。また、部落解放運動の影響も受け、障害者が住んでいる地域で差別が
あったから、地域の差別をなくそうという意味で、地域で生きるというスローガンがでてきた。日本の障害者運動は、地域社会の関係性を重視しているというこ
とである。
そして、こういった運動の専従活動家として自立障害者が生まれてきた。この自立障害者はまた、生活要求もしていった。これが各地に広まったのが、日本の自立運動の始まりである。
3.「働かせる」という目的
アメリカの運動は、労働の確立の運動が主体になっているから、ADA法のように働く障害者のものになってくる。CILも同じ論理のもと、ゆくゆくは運営に携わる障害者を「働く障害者」と設定していくことになるだろう。
障害者が障害者の面倒をみるのはいい。しかし同時に障害者を障害者が管理するという面もある。それは新たな差別構造を生まれることである。
働かせることには金を惜しまない。例えば、知的障害者が働く場合、(希望し
たら)指導員2人、コーディネーター1人を付けることが、義務づけられている。
公共機関のバリアフリー化。また、職場での肢体不自由の介助、ろうの手話通訳などを、労働する場合に義務づけることが、全米障害者リハビリテーション法から改定されたADA法の骨子になっている。いかに資本主義にのせるかがこの法律のねらいである。
4.最後に
70年代から80年代はじめの日本の障害者運動は、「地域で自立と解放」がスロ
ーガンだった。実現する会のような組織は、「地域で共に生きる会」や「障害者解放研究会」と名乗っていた。自立生活という言葉は、1990年代、日本でADA法が話題になり始めたころから出てきた言葉である。CILは健常者社会に近づこうとするものである。私は、CILがおしすすめたADA法が、究極的に全障研の論理を具体化したものと思う。私は、CILが発達する障害者だけが市民権を得られ、発達できない障害者や、世の中にマイナスの価値を持つ障害者は、安楽死の対象になるこ
との片棒を担ぐではないかと危惧している。
私は、自立とは永久目標であり、自立へ向かっていく姿こそ、大切にしたいと思う。