〜さすらいの語り部たち〜 5月のテーマ:「恋愛(または恋愛観)」

●宮崎晴奈さん



恋における愛?家族愛や人類愛、その他「〜愛」という形で存在する愛ってたくさんあって、その内の一つに恋愛ってもんがある、として、恋の愛について考えてみた・・・。

とするならば愛って一体、ナニモノなんだろう?ひたすら考え1時間。家族における思いやりの気持ち、人類における思いやりの気持ち、とまあこんな具合に「〜における思いやりの気持ち」と置き換えてみる、とふとすっきりと納まる様に思う。そこで、愛とは思いやりの気持ちだと無理やり決着づけることにする。

問題は恋、である。

確かに私にもかつてはあった、ドキドキが止まらず苦しくて切なくて胸を痛めた経験。たった一言話すのにどれだけのエネルギーを使ったことか・・・。結局は私の性格が災いして終わらせてしまった私の、?。この?ハテナマーク?をすかさず恋と言い切ってしまうことは果たして適切なのだろうか、と現時点における私はついつい思いとどまってしまう。

「恋」をする勇気を失ってしまった証拠なのだろう、か。

先に述べた愛、この定義を私は「思いやりの気持ち」とした。(継続的ではないにしろ)自己を越えて対象となる相手をのみ、ただひたすらに思う気持ち。だとするのならば、恋とはその一歩手前で、「発展途上自己を中心としてまたは基準として相手を思いやる気持ち」なのではないだろうか。ドキドキしたり不安になったり、時にはミョーにハイテンションになったり。こんなふうに、恋によっていつもの自己コントロールが効かなくなってしまうのは、私としては頷けるこじつけのように思われる。うむうむ。

もしかして人って、自分自身が不可解な生き物であるから「恋」をするの、かな。さらに言ってしまえば、自分自身が見え分かってきた時点で「愛」に変わってゆくの、かな。

ただ恋にしろ愛にしろ、きっかけはその時の状況であったり無意味な直感であって、結果論的に始まりは赤い糸になってしまうけれど。

普通では処理しきれない、「なんじゃこりゃ!?!?って感じ」=「恋」だったりして。

だったら不倫は:倫:になってしまうのかしらん?


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このページは2001年5月14日に初めて公開しました。