〜さすらいの語り部たち〜 2002年4月
先日、とある沖縄の平和運動をしていらっしゃる方の講話をいただいた。その方自身障害をもっておられて、「私たち障害者のような弱いものが苦しまない社会を目指したい」と話された。
私は「弱いもの」という言葉が妙にひっかかった。
弱い人間なんているだろうか。弱い―強いの判断の基準は何なのだろうか。
例え障害をもった人でも、賃金労働に就けなくても、別の何か―例えば、書いたり話したりすること―で、きっと他より秀でているだろう。
だから「弱いもの」という言葉は適切ではなくて、「弱くさせられているもの」が適当だと思う。
実現する会の人たちは、職業や社会的地位以外の部分で人間を見ている―と、言ったら崇高な人間の集まりみたいだけど、少なくとも実現する会にいる障害者を「弱いもの」とは見ない(かもしんない笑)。
笑い合って、バカやって、別になんでもないことなんだけど、どうやらここ以外では普通じゃないらしい。そんな世の中では障害者を「弱いもの」とみなす、発言が容易に出てくる。
世の中の意識なんてそう簡単に変わらないけど、少なくともひっかかる言動があったときは、ちょっとつっかかってみたりしようかなぁ。
なんてことを、実現する会を通して障害者に関わるようになってから思うようになりました。と、無理に実現する会に結びつけた次第です。